父が死んだ

昨晩父が死んだ。今日の朝知った。思わず「ええっ」と声が漏れた。昨日の午後会ったばかりだったので現実の世界で起きたということに臨場感が持てなかった。嗚呼、あの時が最後になってしまった。父の最後の言葉は「何もないけど、また来てちょうだい。」であった。父よ、また来る前にあなたのほうからどこかへ去ってしまったではないか。

死は突然やって来ると徒然草に書いてあったな。〈人はいつ死ぬかわからない。会えるうちに会っておこう。話せるうちに話しておこう。〉と以前から体感していた。だから帰省後は、暇をみては会いに行っていた。だがまさかこんなに早くいなくなってしまうとは思っていなかった。やはり昨日まで動いていた人が二度と動かなくなってしまったのはなんとも言いようがない。悲しいや辛いでは言い表せない。

だが悲しいや辛いという言葉を使いたくないのだ。悲しくなりたくないし、辛さを感じたくもない。なぜならば母や姉が落胆し動揺を隠せない状況で私までもが平静さを失いたくないからだ。人の気分は伝染する。超楽観的な私を演じることで彼女たちの悲しみや辛さを和らげるためである。人の死後ほど悲しいものはないと徒然草で読んでいたことも事前に人の死に対して心のバリアを張ることを意識させた。だから思ったより容易に超楽観的に振る舞えている。

先月帰省したことも、帰省後父に会っていたことも、昨日父に会ったことも、結果的にやっていて良かった。すべて偶然、たまたまだったのだが。

本当に会えるうちに会っておいて良かった。話せるうちに話しておいて良かった。